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裏磐梯晩秋の撮影会

週末18日,19日,20日は小金井カメラクラブの撮影行裏磐梯へ行った。標高も少し高いのだが晩秋を通り越して冬だった。寒さ対策が甘く仲間に防寒のジャケット,ズボン,ホッカロン等を借りてしのいだ。皆さんありがとうございます。お陰様で写真がとれました。

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小野川湖(手はかじかみ,足の裏感覚がなくなる程冷たかった)

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雄国沼近く

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写真仲間

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誕生日

今日は誕生日。昼食時オフイスで思いがけないケーキを頂いた。Iさん,Tさん本当にありがとう。

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アメリカ旅行(最終)

10月17日,18日は西海岸から中西部へ飛びインディアナ大学のDr.Michael McRobbieを訪ねました。前から仕事,プライベイトでもお付き合いのある方です。今インディアナ大学でVice President for Research and Technology とVice President for Information Technologyの要職を兼任されていてアメリカの大学間を結ぶ高速インターネット網のInnternetⅡの中核センターの責任者でもあります。このネットが日本の大学,アジアのアカデミック機関にも東京をハブとして接続されています。ここにも日米の緊密さの一端を見ました。

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Bloominghtonキャンパス

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インディアナポリス キャンパス(InternetⅡのセンターがある)

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アメリカ旅行(モニュメント バレー)

10月16日はいよいよモニュメント バレーです。戦前,戦後ここで多くの西部劇映画が撮影されました。ジョン フォード監督とジョン ウェインの組み合わせが有名で駅馬車,黄色いリボン,リオ グランデの砦等今でも画面を思い出します。泊まったホテルは嘗てご両人が撮影の時泊まった同じホテルでした。いまでは先住民との戦いを映画にすることはないし,この近く一帯がナバホ族の居留地でその人達の生活,人権は守られています。マンザナの見学と映画の記憶は矛盾ですがそれでもこの景色は見ておきたかったのです。

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夜明け前

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ホテルのベランダから

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昼の奇岩

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アメリカ旅行(大隕石のクレーター)

木曾の紅葉で中断していたアメリカ旅行の続きです。10月15日,これはモニュメントバレーへむかう途中で寄った隕石衝突による大クレーターです。周囲約4.8キロ,深さ約170メートルの巨大クレーターです。アリゾナの砂漠のようなところにあります。この隕石は50000年前に衝突したものですが,約50ートルの直径のものだったと想定されています。衝突時には大気圏でもえるのではるかに小さくなって(例えば10メートル程)いたのでしょうが衝突のエネルギーの凄さがわかります。いつまた衝突があるか分かりません。この大きさの隕石が人口密集地帯に衝突したら数百万の人が犠牲になるだろうといわれています。人間の存在は自然の一部で小さいものと認識させられました。

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木曽開田高原

11月8日は木曾開田高原に行った。全山紅葉の美しさに心を奪われた。今年は紅葉が遅かったが,自分のタイミングにあい久し振りに紅葉を楽しめた。

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奈良井宿(開田高原への途中)

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地蔵峠からの眺望

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同じく地蔵峠からの眺望

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赤沢渓谷

今日は赤沢渓谷です。中山道に沿って渓谷が沢山あります。紅葉と渓谷は本当似合います。

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阿寺渓谷

秋の渓谷です。アメリカの風景は迫力がありましたが日本の小さい箱庭のような渓谷美もいいですね。

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秋の清内路峠

アメリカは一休み。今木曾路にいます。日本の景色のやさしさです。051105_102301.JPG

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チノの航空博物館

13日はデスバレーのなかにあるStovepipeというモーテルに泊まった。ここはモーテルと一軒のショップ以外はなにもなかった。14日は朝もう一度Bad Waterまで行き後は,ロスアンゼルス近くのチノ(Chino)に向けてひたすらドライブだ。チノには航空博物館があり第二次大戦中のアメリカ,日本,ドイツ,イギリス等の軍用機が見られる。航空ファンにとっては見逃すことが出来ないところだ。チノには午後3時頃着き2時間では短かったが色々な飛行機を見られて来たかいがあった。また来なければ。この後サニーベールまで7時間のドライブが待っていたが好きことすべて我慢ができる。運転してくれている友には申し訳ないがしかたがない。サニーベールに午前1時半に着いた。14日になっていた。14日は5時起きなので睡眠3時間の強行軍になってしまった。

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人口100人のオアシスのような町(休息をとった町 Shoshone)

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人口2000人程の町(Baker)昼食をとった。

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チノのゼロ戦。オリジナルのエンジン’栄’で飛べる世界唯一のもの。貴重な存在。

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太平洋戦争初期の頃のゼロ戦の相手。グラマンF4Fワイルドキャット

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アメリカ旅行(デス バレー)

マンザナからデス バレー(死の谷)へ向かった。デスバレーはシエラネバダ山脈の東部に位置しカリフォルニア州にある国立公園だ。長野県ほどの大きさがありアメリカで一番乾燥し一番暑い地域だ。この国立公園の最高地点は3368メートルあり最低地点は海抜86メートルの塩湖だ。水も淵に少しあるが殆どが塩の異常な光景をみせている。塩の中を歩いているうちにのどが渇いてくる。不思議な体験をした。


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峠がら見た塩湖

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Bad Water(一面の塩)

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砂漠の月

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アメリカ旅行(Manzanar)

10月13日は朝からマンザナの日系人強制収容所跡を訪問した。アメリカではここをRelocation Centerと呼んでいる。どういう言い方をしようと強制収容所に変わりはない。日本人のアメリカへの移民は1868年(明治元年)
に150人程がハワイに渡ったことから始まる。その後紆余曲折をへ,偏見とか差別もあったなか日系人は持ち前の勤勉さで頑張り社会的地位も向上してきた。人口的にもハワイではハワイ全体の三分の一を1941年にはしめるにいたっていた。この日系社会を一変させたのは日本軍による真珠湾攻撃だった。米本土では12万人の日系人が敵性外国人として,法的にはアメリカ人なのに,強制的に自宅から退去させられ砂漠とか荒地に建てられた仮設の建物に住まわされた。夏は40度を超える暑さ冬は零下,また砂ぼこりにさいなまれる環境に耐え抜かなければならなかった。ハワイでは人口の三分の一を占めていたいたので,無線機を扱える船乗りとか校長先生とか限られた人のみが強制収容所送りになった。このようないわれのない仕打ちに対しても,日系の若者達は彼らの祖国であるアメリカに忠誠心を示す為,軍に志願し猛訓練のあと100大隊,442連隊に所属しヨーロッパでドイツ軍と戦った。アメリカのどの連隊より損害率が高く,またどの連隊より多くの勲章をもらった。この若者達の文字通り命をかけた活躍により日系人がアメリカ社会より信頼をとりもどしたのは言うまでもない。戦後凱旋した日系部隊に対してトルーマン大統領は君達は’敵(ドイツ軍)と差別という敵の両方に勝った’とねぎらった。太平洋に於いても通訳兵として各地の戦線で活躍した。戦後の日本占領にさいしても二世兵は両親が日本人,自分達はアメリカ人という両方の文化の分かる特典を生かし占領政策がうまく進められるよう多大の貢献をした。今日の日本の繁栄,日米の良好な関係はこの歴史の事実抜きには語れない。アメリカに何度も行きながらマンザナに行ったことがなかったが今回やっと訪問を果たし,慰霊塔にお参りすることが出来た。
アメリカはこの後レーガン大統領は正式に日系社会に謝罪し20000ドルを多分一家族ごとに支払った。これは戦争が終わって43年もたった1988年のことだ。クリントン大統領は日系部隊の勲章を一階級ずつ上げた。戦功について白人兵なら授与されていただろうレベルにあげたのだ。この辺はいかにもアメリカらしい対応と思う。このアメリカの対応は立派だが,最初からアメリカ人である日系人にたいする差別なかりせばと思う。


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強制収容所門

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慰霊塔(1943年建立)

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マンザナ博物館(過ちを繰り返さない為)

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当時のニュースの写真

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アメリカ政府はアメリカで生まれた普通のアメリカ人をここに強制収容した。だれも犯罪者ではなかったと
書いてある。

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真珠湾攻撃の写真とアルカイダ9.11の写真をならべて展示している。
意味が違うのではないかとおもう。

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